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持田 盛二(もちだ もりじ/せいじ)

持田 盛二(もちだ もりじ/せいじ)

持田 盛二(もちだ もりじ/せいじ)

生没:
1885年〜1974年(満89歳没)
出身地:
群馬県勢多郡下川淵村
流派:
法神流、北辰一刀流
称号:
剣道範士十段、警視庁名誉師範
肩書き:
朝鮮総督府警務局剣道師範 など
道場:
有信館、明信館

「昭和の剣聖」と呼ばれた剣道家の一人。段位は範士十段。戦国時代に上泉信綱らと共に上野国箕輪城主・長野業正に使えた武士、持田監物の子孫。父から剣術指南を受け17歳で上京、中山博道の有信館や高野佐三郎の明信館で短期修行をした。温厚で高潔な人格に気品と強さを兼ね備えていたことから「昭和の剣聖」と呼ばれるようになったと言われている。大日本武徳会武術教員養成所では堀正平、大島治喜太と並び「三勇士」と謳われた。全日本剣道連盟から剣道十段を授与された五人のうちの一人。

オリンピックでは国技のデモンストレーションが認められており、1964年(昭和39年)に行なわれた東京オリンピックでは武道(剣道、弓道、相撲)がデモンストレーションとして行なわれた。この際に行なわれた日本剣道形を斎村五郎 範士十段(打太刀)と持田盛二 範士十段(仕太刀)が演武を行った。「私は剣道の基礎を体で覚えるのに五十年かかった。」というほど謙虚な性格であった。

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