高野 佐三郎(たかの ささぶろう)
高野 佐三郎(たかの ささぶろう)
- 生没:
- 1862年〜1950年(満88歳没)
- 出身地:
- 武蔵国秩父郡大宮郷
- 流派:
- 中西派一刀流
- 称号:
- 剣道範士
- 肩書き:
- 明信館館長 など
- 諱:
- 豊正
- 道場:
- 明信館
警視庁撃剣世話掛、東京高等師範学校教授などを歴任した昭和初期剣道界の第一人者。当時の剣道界では中山博道と並ぶ最高権威者であり、現代剣道の基礎を築いた人物である。「昭和の剣聖」、「警視庁の三郎三傑」などと称された。
幼少から祖父の高野佐吉郎の手ほどきで中西派一刀流剣術を学び、5歳のときに松平忠誠の御前で中西派一刀流の組太刀56本を演武して褒賞を賜った。明治12年(1879年)に埼玉県児玉郡賀美村の陽雲寺で開催された「上武合体剣術大会」に祖父・佐吉郎の代理で出場したが、その際に対戦した元安中藩撃剣取締役助教授・岡田定五郎に惨敗したのをきっかけに上京し、柴田衛守の勧めで山岡鉄舟に師事した。岡田とはその後、負ければ死ぬ覚悟で試合を申し込んだが丁重に試合を断られた。それを鉄舟に報告すると、「それは当然だ。やれば岡田は生命は無かったろう」と言ったと伝えられている。
本所元町署撃剣世話掛、埼玉県警察本部武術教授、東京高等師範学校勅任教授、を歴任したのち、大日本帝国剣道形の制定、学校剣道の指導法を考案して現代剣道に大きな影響を与えた。